自分史のカテゴリーです。

このカテゴリーは、自己満足な文章で人にとってはどうでも良いことも多く入っていますので、ご興味ない方は読み飛ばしてください! m(__)m

 

そのため、この文章の結論から書きますね。

『どうかお子さんをほめてあげてください。自惚れるくらいにしてあげてください』

です。(^^)

 

私ごとですが、昨晩大学生の娘にかみさんがひさしぶりに電話をしたら就職が決まったそうです。決まっても連絡してこないところ、相変わらず『親の心子知らず』です

娘や石田君のこと言えませんねー 私にも反抗期?自立しようともがく時期?がありました。自分が小さかったから苦しかったのに、状況環境のせいで苦しいと思いこんでいた自分‥

自分が、独りよがりで、ちっぽけだった、札幌の浪人時代

『あすなろ』とつけた理由 - 宮の森あすなろスクール日記

ここでも書きましたが、なんとか数学を柱として気持ちを立て直した浪人時代、

志望校は経済的に家に迷惑だと国公立大学しか志望できないと勝手に思っていました。

 

とにかく親から離れたくて、本州のその国公立大学を志望したようなものです。また二次試験が数学と小論文だけだったからかもしれません。当時通っていた大手の予備校から図書館まではすぐ。秋からは連日そこに通って必死に前述の一冊の本と格闘していました。そしてその予備校の二次試験テストで一番をとることができました。高校でも50番以内に入るのが精一杯だった私が一番なんて一瞬も想像したこともありませんでした。

これにはカラクリがあって二次試験の偏差値平均で順位をつけるので、私は数学と小論文の得意科目だけの偏差値で良かったからです。

少し自信をつけて自惚れた私は、何とか合格することができました。

 

ちっぽけなプライドしかなく、自分のことばかり考えていたあの頃‥

 

しかしですね‥今振り返るとですね‥ やっぱり一人ではなかったんです。

小さいときから、『おまえのおじいちゃんは大学の数学の先生なんだよ‥』『あまえは数学ができるんだよー』

と言い続けてくれた母がいたんです。

小学生のとき、わからないというと算数を紙に書いて教えてくれました。『わかった?』と私に聞き、『うん』と私が答えると、その紙をポイッとゴミ箱に捨て、『じゃ、もう一度やってごらん!』と言った母

そんな母がいたんです。

『おまえは、やればできるんだよ』と繰り返し言ってくれた母‥

その母も去年亡くなりました。

 

確かに、自分は苦しいと勝手に思い込んでいたあの浪人時代に、小さいときの母のはげましの声が私の耳に聞こえていたとおもいます。

 

ありがとうございます。

 

 

ちなみに

うちの娘にも小さい時から

『おまえは、天才だねー』と言い続けました。

自惚れてとんでもなくなるかなと危惧はありましたが、いいや実験だ!とのいい加減さ。許してくれ。

しかし、うちの娘は、大学進学や就職のときも相談なしだし、私たち親に感謝なんてしてないだろうなー。ま、その方がこちらも、あとから私たち親のせいにされないのでいいのですけど(笑)